生命倫理学

科目名
Course Title
授業コード 単位数 配当年次 開講期間
Term
科目分類 ナンバリング
コード
曜日
コマ
教室 担当教員氏名
Instructor
生命倫理学
Bioethics
B400010001 2 1 前期授業 専門科目 DHBAM1101-J1 火1 オンライン(中百舌鳥キャンパス) 山崎 真也

授業目標

現代の医療にまつわる倫理的問題について、自分の問題として深く考察する思考の習慣habitusを獲得することが目標である。具体的な到達目標としては、授業で取り扱われた生命倫理学の一般的ないし個別の問題に関して、
(1)問題の構造を自分なりに整理した上で略述できる
(2)その問題点に関して多様なる価値に基づいて提出された諸視点を考慮しつつそれら諸視点を記述できる
(3)それに対して(それを受けて)受講者自身の立場(考え)とその根拠を表明できる
(4)自身の視座と(2)の諸視点との違いや、自身の考えに含まれる限界や問題点について議論できる
ことである。以上の諸観点を反映させたレポートの作成を通して、目標とする習慣を形成してもらう。

教科書

特に指定しない(プリントを配布する)。

参考書

授業中に紹介する。

授業時間外の学習(準備学習等について)

授業中に紹介された文献を読み、自分の頭で感じながら考える。

授業の概要

生命倫理学とは、医療・福祉場面において遭遇する倫理的諸問題を考察する学問である。そして倫理学とは、ある行為の規範性とその根拠(その行為はよいのか悪いのか、なぜよい/悪いといえるのか)を問う学問、とさしあたり定義することができるだろう。
 一般に医学は、生命を尊重しこれを擁護して、人類の健康と幸福の改善に寄与する、と考えられている。しかし現実には、例えば人体実験に見るように、近代医学はむしろ逆説的に、個人や生命の軽視や破壊に至る反道徳的な位相を含んでいる。現代生命倫理学は、そうした医学の反倫理的側面によって起こされた諸問題に対峙し、個人と生命の尊厳を守るにはどうすればよいのか、を徹底的に考え抜くところから始まった。
 本講義においては、まず、現代生命倫理学の出発点をなす医学をめぐる暗黒の歴史を語ることで、聴講者諸氏に問題の在処を会得していただく。次に、複数回の授業を通して、個別のissueについて、なぜそれが倫理的に問題視されるのかを解説し、聴講者諸氏にも一緒に考えて頂くようにしたい。
 なお、2020年のSARS-CoV-2パンデミックの勃発は、生命倫理学的にも重大な問題点をいくつか提起している。本講義では、それらも併せて考察する。

授業計画

第1回 オリエンテーション
SARS-CoV-2パンデミックによってあぶりだされた生命倫理的諸問題
準備学習等
第2回 生命倫理学の原点──ナチ医学、731部隊、そして戦後の諸実験(及び非治療的な実験的治療)。 準備学習等
第3回 薬害の構造──SARS-CoV-2ワクチンの開発及び臨床試験をめぐる倫理的諸問題を考える。 準備学習等
第4回 生命倫理の諸原則と諸理論──その効用と限界。 準備学習等
第5回 インフォームド・コンセントとパターナリズムをめぐって。また、提供されるインフォメーションの在り方をめぐって。 準備学習等
第6回 優生思想の問題。福祉国家における逆説的な優生思想の強化、レッセフェール優生学について。相模原障害者殺害事件を手掛かりに考える。 準備学習等
第7回 出生前診断と選択的人工妊娠中絶──生殖補助医療をめぐる問題(A)
中絶一般における女性と胎児の権利の衝突
準備学習等
第8回 選択的治療停止について。 準備学習等
第9回 人工授精・体外受精・顕微授精、及び代理出産について──生殖補助医療をめぐる問題(B) 準備学習等
第10回 いわゆる「先端医療」について(1)──ES細胞・iPS細胞・クローン技術の倫理的諸問題 準備学習等
第11回 いわゆる「先端医療」について(2)──遺伝子操作とエンハンスメント。安全性を担保するとはどのようなことか? 準備学習等
第12回 脳死と臓器移植の問題。脳死概念の再考。 準備学習等
第13回 いわゆる安楽死・尊厳死について。再び、優生思想について。 準備学習等
第14回 終末期医療と個人の意志──ACPを考察する。 準備学習等
第15回 総括 準備学習等

成績評価

平常点(30%)と期末レポート(70%)により評価する。

  (1)平常点の評価方針
 平常点は、授業の終わりに提出してもらうコメントで評価する。コメントは出席確認を兼ねている。

  (2)期末レポートの評価方針
 授業においては、あるテーマに関して担当者なりの回答(主張)を打ち出す場合もある(そのような機会の方が多いであろう)が、もとより授業担当者の道徳的直観を押し付けるつもりはない。従って、聴講者諸氏が作成する期末レポートにおいては、担当者の主張と異なる考え方が表明されていても、それだけで点数が低くなることはない(ので安心して自由に考えてほしい)。

 ただし、文献挙示をしない「コピー・アンド・ペースト」と、そこに付された数行程度の「感想」や浅はかな「意志表明」(例:「この知識を将来生かしたいと思います」)文から成るものである場合、評価は著しく低くなり、場合によっては単位を出さない(i. e. 落第)。また、議論を尽くさずに得られた常套句的な結論(e. g.「この問題について議論が必要である」「世の中にはいろんな考えがあるのだと知った」)も、評価が低くなる(Cに相当。場合によってはD。何故なら、議論が必要だから議論しているのであり、世の中に多様な考え方が存在することは議論の出発点であるから)。さらに、自分と異なる考え方に対して、相手の意を汲み取らず無視抹殺した上で、「自分の意見」が独断的・一方的に表白されている場合も、DないしCと判定されるであろう。なお、歴史修正主義のような一種の暴力に対しては、対抗暴力として厳しく対処するので(i.e. 皆さんの大嫌いな落第)、その点はご容赦願いたい。

 「授業目標」に記された諸観点を満足するような、聴講者の思考の跡が窺えるような内容のレポートである場合、AやA+と評価される。先に記したように、結論自体は担当者のそれと違ってかまわないが、その場合担当者と違う考え方なのであるから、少なくとも担当者の議論を正面から捉えた上で、担当者を説得するような議論展開が必要である。

 (では具体的にどのようなことを書けば、「授業目標」に記された諸観点がどの程度「満足」されていると判断されるのであろうか。また、どのように書けば、聴講者の思考の跡が窺われるとか窺われないとか判断されるのだろうか。注目すべきは、こうした判定のための評価者間信頼性inter-rater reliabilityをもった〔=複数の評価者間で判断が一致する〕基準尺度など存在しないということだ。従って、巷間言われるところの一義的で「客観的」な判定基準は存在しない。だが、とするならば、大事な自分の成績が授業担当者の恣意的で「主観的」な印象によって判定されることになるのではないか? このような事態に恐れおののく聴講者も多いことであろう。さあ皆さん、どうしますか?)